概要
例年通り上海での公式対局のほか、武漢の囲碁学校で生徒との対局が急遽組み込まれ、
更にオープンしたばかりの亜州棋院を訪ねる機会に恵まれるなど
囲碁密度の高い旅となりました。
観光は長江の中流域三国志の舞台となった
武漢、荊州、宜昌を訪ね世界に誇る三峡ダムも見物しました。
桜にはやや遅かった替わりに田園に広がる菜の花を堪能しました。
囲碁対局と棋院訪問


上海での対局


上海対局後の招宴
ファンファン会日中対局(上海)
上海での対局は1997年に始まり、
今回は10回目の遠征にあたり節目のようなものを感じます。
対局場は地下鉄1号線延長路駅から数分のところ、
シェラトンホテルに接して建つビルの4階でゲームやショッピングが楽しめる場所、
方芳の賢弟プロ七段である方捷が新しく経営をはじめた
品囲碁会館。明るいファッショナブルな雰囲気があって気分がよい。
対局結果は6勝3敗と久しぶりの好成績であった。
10回目の交流を祝うに相応しい。
対局後の招宴の席で方芳女史から

「近年日中の民間レベルの交流が評価されてきている」
との発言があり、
12年におよぶ交流の歳月の重さと共に意義めいたものを感じて感激した。
上海は北京オリンピックを控え躍動する中国のなかで、
一歩早く整然さを醸し出してきたような雰囲気が出始めた。
これからも交流が深まることを願って止まない。


第10回日中囲碁交流会 
日時:2008年3月29日 場所:上海 

第1回戦

第2回戦

岩月四段○ 

中押し

×姜連根三段

長坂三段○

中押し

×方集林二段

長坂三段○

中押し

×熊立球二段

梅田二段○

中押し

×熊立球二段

梅田二段○

中押し

×張世栄三段

西岡二段×

中押し

○張世栄三段

西岡二段○

中押し

×方集林二段

井戸二段×

中押し

○姜連根三段

井戸二段×

8目

○方芳 五段

 

 

 


西岡VS方集林井戸VS方芳の対局棋譜をFFWのホームページに掲載しました。

武漢市雲生囲碁培訓学校親善対抗戦

此処は武漢市内にあって設立後10年経過、プロの卵が勉強しているところ。

生徒は数百名おり、五段以上の実力者が30名を越えるという。

昨年10月岩月さんが第6回杭州国際囲碁大会に参加の折、

出席メンバーで雲生学校の一人と懇意になられ訪問が決まっていたところ、

急遽「宜しければ対局を」との申し出があり対局が実現したもの。

唖然とする強さである。よく考える、2時間半を要した対局もあった。

かつて杭州で子供と対局し負けた時と似て結果は全敗であった。

一都市でこれだけの数の英才を集め得る環境に驚きを禁じえない。


雲生囲碁培訓学校親善対局


岩月VS梅一函の対局棋譜をFFWのホームページに掲載しました。

日時:2008年3月31日
亜州棋院訪問 2008年4月1日
雲生囲碁学校での親善対局の折、居合わせた亜州棋院の関係者から訪問を求められ応じたもの。

日中韓の財界からの出資で昨年11月オープンしたところ。

東湖の風光明媚な湖畔に佇む洒落たデザインの会館である。

対局者の宿泊設備もあるし、和風対局室として畳の部屋もある。

5月にはNEC関係のプロの対局が予定されているということであった。
産官合作というのだろうか
中国の囲碁への施策の凄さが伺われる。

対局場

亜州棋院

                               

観光(武州、荊州、宜昌、三峡ダム)


武漢:
長江の河口上海から千キロの上流にある湖北省の省都、人口800万人、

中国の8大都市に数えられている。

長江に最大の支流漢水が流れ込むところで東湖をはじめ湖沼が多い。

水路と陸路が交錯する華中のハートランドで、
古来三国志の争奪の的になったり、
近世では辛亥革命の発祥の地となった要衝である。
現在では自動車産業の集積地で、日本からはホンダ、日産が進出している。

ここでは文化大革命で破壊されずに残された金色の五百羅漢が眩いばかりの帰元禅寺
三国時代に建てられ長江を望む眺望豊な五層の黄鶴楼
琴の名演奏家と詩人の友情にまつわる伝説を残す
古琴台などの旧蹟を訪れたが、
最大のお目当ては
武漢大学の桜である。

                  


武漢大学の桜

黄鶴楼

武漢大学は珞珈山麓にあり
東湖に面した広大なキャンバスを持つ中国国家教育部直属の総合重点大学で
学部は30あるという。
かつてこの一画に日本軍が司令部を置いた経緯があり

その時1000本の桜を植えたという。
日中国交正常化のおり
田中角栄首相が更に50本を寄贈した桜が大木となり毎年桜祭りが開かれている。
これを観ようと訪れたが今年は3月23日が満開であったと聞く。
僅かな名残の八重桜の前で撮ったスナップ写真をご覧下さい。

武漢ではそのほか前出の雲生囲碁学校や亜州棋院を訪れ、
風景画家を魅了して止まない東湖のほとりや長江に架かる橋梁を何度か渡り、
曇ってはいたが景観を満喫することが出来た。

荊州:
宜昌への途上武漢の上流235キロの地点にある荊州を訪れた。
ここは城壁と外堀に囲まれた40万の人口を擁する歴史の街ある。
三国時代、劉備が蜀を簒奪した時この地の総督となって羽振を効かせ、
春秋時代の城壁を再構築したのが
関羽だという。
ファンファン会が拠点を置く横浜の中華街に、
関羽が道教信仰の聖帝として関帝廟に祀られているので、
何となく親近感が湧く。

此処では荊州地区博物館を見学した。
前漢初期の豪族の墓から発見された
ミイラが展示されている。
エジプトのミイラや楼蘭の美女のように乾燥されたものと異なり
生前そのままの容姿を保ち筋肉は弾力があるという。
保存技術は解明されていないというが意図されたものであることは間違いない。
現在はホルマリン処理がなされているという。

此処は城壁やら木乃伊やら観光資源にはこと欠かないが、
近代化からも観光からも見放された田舎街の風貌であった。ちょっと汚い。

しかし、城壁近くで摂った食事は旨かった。
この地方の料理は
湖北料理として菜種油やら

胡麻油をふんだんに使ったコッテリした味が特徴だというが、
特別な癖もなく素直にフィットした。
名物のアヒルの首を注文する勇気を持つ人が現れなかったのは幸いであった。



三峡ダムで


     
            

宜昌と三峡ダム

更に上流に150キロ。
此処も関羽の胴塚がある歴史の街である筈だが、
それよりも三峡ダムの工事の窓口として繁栄し、
今は重慶を起点とする三峡下りの終点として位置づけられ、
主要都市からの直行便があって華中の旅行客をバイパスさせてしまった張本人らしい。

街を歩き船着場を見てスーパーマーケットを訪れ人々の生活に多少触れた気分になったが
大都市と変わらない雰囲気であった。

翌日今回の最大の目玉、三峡ダムをおとずれた。
世界最大の治水と発電を狙ったもの。
1993年着工、2003年貯水開始、
昨年から発電の稼動にはいっている。
川堰は幅2300m余、高さ185m。
諸元を並べてみてもピンとこないが、
発電量が中国の消費電力の5%におよび送電エリアは
上海にもおよぶと聞くと驚かないわけにいかない。大きいのだ。

110万人を移住させ水没させた大工事は中国の社会体制に負うところが大であろう。
過去に大運河を作ったその発想と
エネルギーと牽引力などと同じ次元のもののように思えてくる。

 

菜の花畑:

三峡ダムからは350キロの行程を専用車で直接武漢に帰った。
途中、延々と続く高速道路の両側は菜の花が満開で黄一色であった。
日本では裏作の菜種が採算に合わず、菜の花が消えてから久しい。
日本の田園はそれに加えて休耕田が増え食料自給率が40%を切ったという。
こんな処で農政に首を傾げてもしかたがない。
それよりも過ぎ去った桜への
愛惜を菜の花が補ってくれて壮快な旅であったことを記して終わりとしたい。以上